agartha

晴耕雨読 日日是好日

優しさ

自分で思っている「他人が自分に対してもっているイメージ」は、実はそんなに当てにならないのかもしれない。

 

もっといろんなものに、いや、すべてのものに優しさを持ちたい。

隣人も悪人もごつごつした岩も汚い木目も素敵な人もみんな等しく愛したい。

実は「縁側」とか「雨宿りの軒」になりたかったりする。

 

なんでここに居るのかとか、なんでこんなことをしているのかって思うことがあるけれど、やらなくちゃいけないこと、考えなきゃいけないことがあるからなんよなとまたまた再確認。

この環境で、この状況やからこそ考えることができることがある。経験できることがある。それをきちんと手に入れないと、僕はきっと次の段階に進めない。

誰かに何かの言葉を伝えたり、いろんな状況にある人を自分の目で見たり、そんな経験の一つ一つがやらなくちゃいけないこと。

 

鬱陶しいこと、煩雑なこと、汚いものから身を置いて、仙人みたいに隠居生活をしたらきっと楽やろう。

「ほう、下界ではそんなことが起こっているのかい。醜いのう…」そんな言葉をつぶやきながら自分のことだけで生きていくのは簡単やろう。

でも、本当にそんなことには1ミクロンの意味もない。そんなことでは本当の平穏な世界なんて永遠にやってこない。

 

問題の中に身を置かないと。何も見えない。

本当に解決を求めているし、解決はあると思う。だからいろいろ考えるんやんね。

 

と、今日はとりとめなく至極「当たり前」のことをいろいろ考えた。

話は目的無くふらふらして、結局結論もないんやけど。

そういやいつも、理想ばっかり書いて、解決策とかかいてないなぁとぼんやり思ったりもするなぁ。

解決策はまとめて他のところに。

いろいろ回り道と道草をして、山を越え谷を越え、たどり着くところは結構当たり前の答えや常識とされている所だったりする。

 

今日は沈んでいく太陽を久しぶりにゆっくり見た。

雲も、澄んだ空も、家に帰るカラスも、道をあるく人も、道路を走るバスや車も、お風呂屋さんの煙突からゆらゆら出てくる湯気も、みんな輝いてた。

平和な日曜日。

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